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こんにゃく番所 [食べ物]

「よのなかよ みちこそなけれ おもひいる やまのおくにも しかぞなくなる」(皇太后宮大夫俊成)


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「この世の中よ、どこにも憂きことを避ける道はないのだ。山の奥に逃れようと思って入ってきたが、この山の奥にも憂きことがあるのか、鹿も悲しげに鳴いている。」


藤原俊成は、道長のひ孫にあたり、定家の父親です。
皇太后宮の長官を務めていたのですが、六十三歳で出家したのだそうです。

御子左家(みこひだりけ)という流派を作り、寂蓮・定家らをひきいて、中世和歌の理想である幽玄の美を追究したのだそうです。


俊成が若い頃、京の町には奈良の興福寺の僧兵や比叡山延暦寺の山法師が暴れ込み、朝廷に無理な要求を突きつけるなど、世の中は酷く乱れていたのだそうです。

「あぁ、こんな世の中から逃れて暮らすことは出来ないものか・・・。」[もうやだ~(悲しい顔)]

俊成より四つ年下で、和歌の才能に優れていたという、名前を西行と名前を変えて行き先も告げずに旅に出たという佐藤義清(さとうのりきよ)の出家は、俊成にとって、大きなショックだったようです。

「私には、彼のように妻子を捨てて出家する勇気はない・・・。私は、歌を作って生きていくしかないのか・・・。」

その時作った歌は、述懐百首の中の一首として「千載集」に載っているそうです。
これは、二七歳の時の歌なんだそうですよ。






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