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ひっぱりうどん [食べ物]

 「おくやまに もみぢふみわけ なくしかの こえきくときぞ あきはかなしき」(猿丸大夫)


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 「奥深い山の中で、散りしいた紅葉をふみわけて鳴いている鹿の声を聞くときは、ひとしお秋は悲しく感じられる。」

 猿丸大夫は、奈良時代、平安時代の初期の人とも伝えられていますが、詳しい経歴は何もわかっていないんだそうです。

 この歌は、「古今和歌集」では、「よみ人知らず」になっていて、猿丸大夫が、本当にいた人物かどうかも、はっきりしていないそうです。

 
 歌合の席のために、悩んだ末に出来た歌のようです。[ふらふら]

 鹿の声がしたので・・・。

 牝鹿を求めて鳴く牡鹿・・・なんと、ものさびしげな・・・・。「そうだ!」・・・ピ~ン![ひらめき]こんな感じでできたのかな?[わーい(嬉しい顔)][あせあせ(飛び散る汗)]








 

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桜模様 [好奇心]

 「たごのうらに うちいでてみれば しろたへの ふじのたかねに ゆきはふりつつ」(山部赤人)


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 「田子の浦の眺望のひらけたところにでてみると、真っ白な富士の高い峰に、しきりに雪が降りつもり降りつもりして、なんと壮麗な景色だろう」

 山部赤人は、奈良時代の初め、元明(げんめい)・元正(げんしょう)・聖武らの天皇につかえ、宮廷歌人として活躍しました。

 ある時の冬の初め頃、赤人は上役のおともで、関東地方へ旅行した時の歌なのだそうです。[わーい(嬉しい顔)]

 美しく雄大な富士山を観て、出来た歌なのですね。「おぉっ!あれが富士山か!」こんな感じ。[ぴかぴか(新しい)]

 「万葉集」では、「田子の浦ゆ うち出でて見れば 真白にぞ 富士の高嶺に 雪は降りける」となっているそうです。



 

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納豆汁 [食べ物]

 「あしびきの やまどりのをの しだりをの ながながしよを ひとりかもねむ」(柿本人麻呂)


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 「山鳥の尾のしだれた尾のように、こうも長い長い夜をひとりで寝ることは、さてもつまらないものだ。」

 柿本人麻呂は、持統・文武(もんむ)の両天皇に使えた宮廷歌人で、天皇をたたえる歌や、優れた相聞歌(そうもんか)、挽歌(ばんか)を沢山残しているようです。

 「万葉集」を代表する歌人ですが、一生低い官位で過ごし、石見国(島根県)で死んだと伝えられています。


 柿本人麻呂が、持統天皇のおともで、吉野に行った時の歌のようです。

 柿本人麻呂は、恋してしまってたみたいですね![揺れるハート]

 「あの人は、帝に使える身分の高い人・・・私などが恋してはならない人・・・。」こんなふうに悩んでいたのでしょうねぇ。 切なかったでしょうねぇ。

 夜、山鳥の声がしてきたのでしょう。[耳]

 山鳥の雄と雌は、昼間は一緒にいるのに、夜は谷をへだてて、別々に眠るそうな・・・(あの人と私のように・・・)ということで、出来た歌のようです。

 ところで、山鳥の尾って、どのくらいなのでしょう[exclamation&question]



 今日、ラジオを聴いていたら、娘さんが中学校の時運動部だったのに、高校で「百人一首部」に入部したという投書があったんですよ!ちょうど、百人一首を載せているので、なんか、嬉しくて笑っちゃった!一生懸命、今から覚えるんでしょうねぇ!「がんばって!」[わーい(嬉しい顔)]





 

 

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データー [好奇心]

 「はるすぎて なつきにけらし しろたえの ころもほすてふ あまのかぐやま」(持統天皇)


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 「もう春はすぎて、夏がきてしまってるようだ。香具山に真っ白な着物をほして、夏の用意をしているのがみられるのだから。」


 持統天皇は、天智天皇の第二皇女で、父の弟、天武天皇の皇后になったのですね。

 天武天皇の死後に即位し、都を飛鳥から、大和三山に囲まれた藤原京に移しました。

 「万葉集」を代表する女流歌人としても有名です。


 春が過ぎて霞もたたなくなってので、香具山がずいぶん近くに見えたようです。そのふもとあたりに、白い物が見えたのが、夏衣だったのです。

 香具山当たりの村では、神代のころから、夏が来ると白砂(しろたえ)の衣を干す習わしがあったのだそうです。

 そこで、持統天皇は、「あの香具山にも、夏がきたという印なのですね。」と言ったということです。

 この歌は、香具山に降った雪を白い衣に見立てて、作った歌だという説や、卯の花(うつぎ)を白い衣にたとえたという説があるそうです。

 「万葉集」でこの歌は、「春すぎて 夏来たるらし 白妙の 衣ほしたり 天の香具山」となってるそうですよ。





 


 

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百人一首、始めます。 [好奇心]

 前回の「方言かるた」です。[かわいい]

 「んめなやの おらほでつくた つや姫は」(庄内地方)・・・「美味しいよね 自分のところで作った つや姫は」です。

 みなさん、正解でした![決定]

 「つや姫」は、山形ブランド米として販売され、デビュー2年目の新品種のお米です。[ハートたち(複数ハート)]

 艶々してて、冷めても美味しいので、おにぎりにしてもOK!です。[決定]

 そうそう、山形のコンビニでは、おにぎりを「温めますか?」と店員さんが聞くんですけど、普通は聞かないんだそうですね![わーい(嬉しい顔)][あせあせ(飛び散る汗)]

 ちょっと、横道にそれますが、「芋煮」の時期になると、コンビニで、薪が売られるんですよ![わーい(嬉しい顔)][あせあせ(飛び散る汗)]

 野外で、薪を焚いて、芋煮を作るからです。

 
 「方言かるた」にお付き合いくださり、ありがとうございました。[わーい(嬉しい顔)]

 では、今回から、「小倉百人一首」を、始めたいと思います。[ひらめき]

 「小倉百人一首」が、「かるた」としてとりいれられたのは、江戸時代の初期からです。

 この「「小倉百人一首」は、今から約750余年も昔、「藤原定家」が、天智天皇から順徳天皇までの約570年の間によまれた高貴な人、歌人などの歌百首を各人一首ずつ選び出して、京都嵯峨の小倉山の別荘で、屏風に書き写したことから、この名があります。

 「小倉百人一首」と「かるた」との結びつきは、平安時代に宮廷の人々の間で行われていた、いろいろな貝にそえて歌をよんでつけて出し、その歌を競う歌合わせという遊び、それと似た絵合わせをする「貝おおい」という遊びが進歩して,「歌貝」というものに発展し、生まれたとされています。

 「歌貝」では、すでに貝をかたどった札が上の句と下の句ともに百枚あり、現在と同じように下の句を並べて上の句をよみ、競ってとり合う遊戯が行われていました。

 そして、最初はこのように上流階級の遊びであったものが、南蛮渡来の「かるた」に応用され、庶民の中に広まったのです。(ちなみに、かるたは、ポルトガル語です。)

 

 「あきのたの かりほのいほの とまをあらみ わがころもでは つゆにぬれつつ」(天智天皇)


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 「秋の田の取り入れのための仮小屋の屋根の苫の編み目が粗いので、私の袖は露に濡れに濡れている。」

 刈り取った稲を、粗末な仮小屋におさめておいて、農民達がその小屋に泊まって稲の番をしているのを見た天智天皇が、そんな仮小屋では、夜露もふせげない・・・と、農民の心になって詠んだ歌のようです。












 

 

 

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